子どもの元気な声

鈴木猛史

2007年10月23日 06:22

 「子どもの元気な声が聞えることが地域の元気につながる」
私は子どもの頃から、こんなことを母から聞かされたものです。確かに子どもが居ると居ないとでは、活気が全く違います。
夕方、用事があって各家に訪ねたとき、それは良く分かるものです。

 上平尾で仕事をしていると、昼休みとか元気の良い声が響いてきます。
こうした元気がいいものだなと思います。ところで、こんな記事。

 子供の声「騒音」の時代、自治体への苦情増加



------------記事-----------
子供の声「騒音」の時代、自治体への苦情増加

 「部活の練習がうるさい」「児童館で遊ぶ声が騒がしい」――。学校や公園などで、子供の声を巡って、周辺住民との摩擦が生じるケースが増えている。


 最近では、東京都西東京市にある公園の噴水で遊ぶ子供の声を東京地裁八王子支部が騒音と認定し、市が噴水を止める事態に発展した。

 読売新聞が全国の県庁所在地、政令市、東京23区の計73自治体を対象に調査を行ったところ、各地の自治体が、子供の声や部活動で生じる様々な音に対する苦情の対応に追われている実態が浮かび上がった。

 今回の調査では、48自治体で何らかの苦情が寄せられていた。

 東京都北区の小学校で今年7月、ブラスバンドや合唱など、日ごろの練習成果を発表する音楽会が行われた。会場の体育館には冷房がないため、窓を開け放っていたところ、体育館裏に住む人から苦情の電話があり、窓を閉めて続行した。

 区教育委員会の担当者は「地域の方には事前に音楽会について知らせて、理解を求めていたのだが、難しいところだ」と話す。

 松山市の中学校には2、3年前、「野球部員の声やボールを打つ音がうるさい」と苦情が寄せられた。野球部の練習に掛け声は付き物。気合を入れるため、一球ごとに声を出していた。

 住民との話し合いの結果、声出しはやめることになった。野球部は今も黙々と練習しており、住民は「以前よりは静かになった」と納得しているという。

 放課後の子供の遊び場である児童館も、例外ではない。東京都練馬区ではこの1年間に、住宅地にある児童館2か所について、「子供の声が響いてうるさい」という苦情があった。

 窓やカーテンを閉め、子供たちに「館内では静かに遊びましょう」と指導し、子供が大声を出す度に、職員が注意しているという。

 今年6月、福井市内の公園の使用について、住民から市にメールが送られた。「サッカーボールで遊ぶ音に悩まされている。(自宅の)敷地に入ったボールを取りに、子供が勝手に入ってくるのも迷惑」との内容。担当者が公園に行ってみると、ボールが金属製のフェンスに当たる音が響いていた。市ではフェンスの手前にネットを張り、フェンスに向けてボールをけらないよう呼びかける看板を設置した。

 こうしたトラブルを未然に防ごうと、東京都の杉並区教育委員会では、小、中学校を改築する際に、周辺住民から要望を募っている。中にはこんなものもあった。「プール授業がうるさい。地下のプールにしてほしい」「体育の先生は小さい声で指導を」「校庭での球技はうるさいから禁止してほしい」。区教委では「抑えられる騒音は抑えるよう努力する」としながらも、困惑顔だ。

 通学時の子供の声について住民らから指摘されることがある世田谷区教委の担当者は、「昔は学校ということで地域の人たちも寛容だったが、最近はそうもいかなくなった」と話している。
(2007年10月22日14時39分 読売新聞)
-------------読売新聞記事----------------

 クレーマーの総数が書いてないので、一人かもしれませんし多数かもしれない。
しかしおそらくこうした自己中のごく一部のクレーマーのいうことを真に受けて子どもたちに負担をさせる、地域・学校・自治体のあり方の方が問題だと思う。
子どもが学校や公園や児童館でさえ騒げない環境って考えられない。
電車の中とか夜間とか騒いではいけないところとメリハリをつけるべきであって、騒ぐときに騒げない子どもは末恐ろしい。

 古来より虫の声を日本人は愛でてきました。一方で外国では騒音になるそうで。
つまり、子どもの声が騒音として聞えるのは感性がそうなってしまったわけで。

 春野ではまだまだ、子どもは社会で支えるというのが当然という空気がまだまだ残っている。
子どもは親の所有物ではなく、社会から親に託されたものという古き良き伝統が残っていると思う。
そうした無形の伝統を、維持発展させていきたいものです。

関連記事