080703 第3回天竜区協議会-4/6
合併時は一市多制度もあるという感じで、内容的にはかなり限定的なものでした。大部分の行政サービスは統一されるわけで、残った制度も、伝統とか地域の事情とかを加味した限定的なものだったわけです。
先の市長選後では一市一制度が基本ということで、他地区の承認が頂けるような伝統文化とか地域の事情でサービスの差異がありそれを補うものに関しては特別に認めるということです。
というわけで、やってることは基本的に同じです。
市長のスタンスの違いで、ぶっちゃけ、周辺市町村の住民の心情を組むか、旧浜松市の60万人の溜飲を下げるかのいずれかの「選挙戦術」にすぎなかったわけです。
(7/26追記 地域の行政をよく熟知した上で、行うのならば、それはそれで結構なことだが、
分かっていないことが透けてみえるというか、行政担当者にマル投げしているのがよくみえるというか、
つまり選挙戦術との整合性をつけるためにやっているとしか思えない。それは全市民にとって不幸なことだ。)
ただし大きな違いがあります。心理的な面です。
例えば行政なども見ていても、大きかった浜松方式があたりまえという感じになるわけで、例えば縦割り専門分野別行政マンというような方式、面積と人口のバランスが違う地域では、それが必ずしも有効ではなくて、広く浅くの行政マンの方がはるかに効率がいいわけです。いままでは、一市多制度という名目があれば、まだ対抗軸のひとつにもなったのでしょうけど。
つまり何も考えなければ大きなところがリーダーシップをとって、その線で物事が進んでいきます。実際そのように進んでいます。そのとき「一市多制度」となれば、一瞬考える機会があるわけで、それがちょっとした気遣いになるわけです。
一市多制度だからといって、なんでもかんでも残ったわけではなく、一市一制度が基本といって、なんでもかんでも統一ではないわけで、柔軟な対応が結果として効率的になる面もあるわけです。逆に都市部ならではの課題も、こちらに適用されても困るだけですから。というわけで、委員も常に見直しつつ適宜発言していくことも役割なんだろうと思います。
さて、一つ一つ見ていくと、過疎法からみとか佐久間病院とかすみれとか天狗とか、なるほど固有事業として考えなければ成立しないのだなと思いました。また消防関係のように、団の方で編成が進んでいることもありますから、徐々に減っていくことでしょう。
(つづく)
一市多制度を維持するには新浜松市が熟成し、行政運営に
余裕が出なければ成り立たないと思いますね。
根本的な判断は多数決でしょうから。
生活環境やレベル、ライフスタイルも風土も異なる周辺地域との
温度差を行政の基軸に据えたら見切り発車になってしまいます。
当面の限定的な自由度をどう定義付けるかがポイントでしょう。
閑話休題。
さて自治会の回覧物についてです。これまでずっと一緒に回覧されて
きたJAの回覧物ですがこれに疑問があるのです。
歴史的にJAは政府の手先という位置付けでしたが実体は民間の
任意団体なのですから、公でない民間業者のチラシや会報を
堂々と自治会の回覧ルートに載せているのはけしからんのです。
農協発足当時の食管法が役目を終えた現在でも伝統的にこの
回覧方法が残っている事は大いに問題視されるべきだと思います。
民間企業なら自治会を通じて商品の注文を取ったりせずに自前で
行うべきでしょう。もしこれが正当化されるのであれば一般の業者
の販促物まで受けなければ片手落ちになってしまいます。
必然の根拠がない風習は議論して一刻も早く撤廃して頂きたいと
思いますが如何でしょうか。自治会の回覧物はあくまで公けのモノ
に限る前提で良い筈ですので。
長文、失礼しました。こんな疑問は誰も書かないので・・・
ノスタさん、コメントありがとうございます。
私には何か「一市多制度」という言葉だけが、一人歩きして、
拡大解釈されて判断されているようなブログが多いので
今回のエントリーも書きました。
「一市多制度」ということを言っていたころから、
行政サービスの大半も基軸も、実質は合併時から一貫して統一ですから。
というわけで、ノスタさんのコメントも、私の書きたかったことからすると、
よく分からないです。ごめんなさい。
JAの配布物は、私のところは部農会の回覧のわけですが、
行政組織の自治会の回覧とかぶっているわけで、その上、
集落内が昔はほとんどが農家だったのが、非農家が増えることで、
ノスタさんの言われるような状況になっているのだろうとは思います。
というわけで、私のところでは厳密には行政の配布物ではないのですが、
そういう地域もあるのでしょうか。
旧市町村の基軸を「一市多制度」と称したのは合併行政として治まり易いからでしょうね。
>「一市多制度」ということを言っていたころから、
行政サービスの大半も基軸も、実質は合併時から一貫して統一ですから。
確かにそうでした、でも言葉的にはかなり誤解されてますね。
行政TOPが構築想像する未来像にどれほどのリアリティがあるかは
判りませんが、世代交代の促進と共にクラスター型への標榜思想が
形を綿密に再構築し、急速な全市統一に向かうのでしょう。
地域の疲弊が加速している昨今の状況は、温度差や格差といった
言葉以上にリアルな悲劇の芽を増殖しています。
地球規模の危機感よりも不安さはへヴィですね。
私にはもう10年後の未来が想像出来ません。
いろいろな状況に、ノスタさんの言われるように
「ヘヴィ」だなと思うこともありますが。
私は、人類の歴史の中でも、最も平和な時代と場所に生まれ育ちました。
そして今、春野に住み、この環境で子供を育てられることを、幸せに思っています。
だから、この良さを次世代へつなぎたいと思い、自分の出来ることを行動しています。
未来は見えるかもしれないし見えないかもしれませんが、その行動の先にきっとあるものだと思います。
前の記事
次の記事
写真一覧をみる